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仙台高等裁判所 昭和34年(ネ)199号 判決

控訴人 横山冷子 外二名

被控訴人 屋嶋重二

主文

原判決を取消す。

被控訴人の控訴人冷子、同つね子に対する請求を棄却する。

被控訴人の控訴人英一に対する本訴は昭和三三年二月三日原審の第一一回口頭弁論期日における同控訴人の認諾により終了した。

訴訟費用中被控訴人と控訴人冷子、同つね子との間に生じた分、及び前記認諾後被控訴人と控訴人英一との間に生じた分はいずれも第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人冷子同つね子両名代理人は主文同旨の判決を、控訴人英一は原判決とおり判決を、被控訴代理人は控訴棄却並びに訴訟費用は控訴人らの負担とするとの判決を求めた。

被控訴人及び控訴人冷子、同つね子の事実上の主張並びに証拠関係は次に述べる事項のほか、すべて原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。(但し、原判決書二枚目裏四行目に「なされいない」とあるのは「なされていない」の誤記であること記録上明らかであるからその旨訂正する。)

被控訴代理人の主張

一、横山七郎左エ門は老齢にして且つ病弱であつたため、かねてその長男である控訴人英一が一家の当主として家事一切を代表主宰し、七郎左エ門の病気臥床以前である昭和二九年九月には梅津武夫に、また本件田地の売渡日の前日である昭和三〇年一月一一日には伊藤栄作にいずれも七郎左エ門所有の宅地を、同人の代理人として売渡して来たものである。

二、七郎左エ門は先に同人と被控訴人間に締結された飯豊町大字萩生北口一四一九番田一反歩(田二反一畝二〇歩の一部)の売買契約を解除し、昭和二九年一二月一二日その売買代金を被控訴人に返還するにあたり、被控訴人に対し迷惑をかけたことを深謝するとともに、「今後田地を売渡すときには、先ず貴方に相談するから、その際必要であれば買受けて貰いたい」旨申し向けていたし、また本件田地の売買に際しては、控訴人英一において七郎左エ門の実印を携え、同人の承諾を得た旨申向けて再三右田地の買受方を懇願するので、被控訴人は控訴人英一が真実七郎左エ門の承諾を得たものと確信して右田地を買受けたものである。

三、甲第一号証(土地売渡約定書)はすべて本件売買契約の締結時に作成されたものである。右契約締結に際しては代金を三〇万円と定め内金一五万円は昭和三〇年一月一二日契約成立と同時に、内金三万円は同年八月二日、内金三五、〇〇〇円は同月一〇日にそれぞれ支払う定めであつたので、右約定書には初めその第二項に「内金二一五、〇〇〇円也受取り申上げます」と記載されていたが、同日その場で第一回支払分の内金一五万円が支払われたので、被控訴人は控訴人英一に対し『既に右内金二一五、〇〇〇円の大半が支払われたので、右記載中「受取り申上げます」とあるのを「受取り申上げました」と訂正して貰い度い』旨申入れ、その際内金の残金六五、〇〇〇円については新たに控訴人英一に対し同控訴人宛の預り証を交付して、その場で前記「受取り申上げます」の「す」を「した」と訂正し、その上部空欄に一字訂正と記入し、その部分に七郎左エ門の実印をもつて訂正印を押捺して貰つたものである。

四、控訴人冷子、同つね子の当審における主張事実中被控訴人の従前の主張に反する部分は否認する。

七郎左エ門は当時田地八反歩余の他、宅地約一、二〇〇坪畑三反九畝歩、雑地一町二反歩余等を所有していたもので、本件田地を手離したからといつて直ちに生活に困るようなことはなかつたし、七郎左エ門が昭和二九年一二月病に臥れ、再起できない状態になつてからは、控訴人英一が名実ともに一家を主宰して来たもので、この間において控訴人英一は父の病気の医薬、治療費、借財の返済、年末における諸般の支払等に金員を必要としたが、他に金融の途もなかつたので、やむなく七郎左エ門の同意を得て、本件田地を売却し、これらの支払に充当したものである。なお本件売買契約締結当時においては七郎左エ門は病気臥床中ではあつたが、それ程重態ではなく、未だ話も充分できる状態であつたものである。

五、原判決事実摘示中被控訴人の答弁事実二のうち事務管理の主張(原判決書三枚目表一四行目の「仮に」より同裏四行目の「云えないものである。」まで)及び同七の主張はいずれもこれを撤回する。

控訴人冷子、同つね子両名代理人の主張

一、控訴人英一は性来怠惰で永続的に百姓仕事に従事できる性格のものではなく、置賜農業学校三年中退後は小国農業会等の農業技術員となつて農耕の指導に従事していたが、その頃より酒色を好み、昭和二二年頃農業技術員を辞め、実家で農業に従事するようになつてからも家業に励まず、昭和二七年一二月一〇日頃には父七郎左エ門が供出した二四、五俵の供米代金一〇万余円を両羽銀行より交付を受けて約一〇日間家出外泊し、長井市内の料亭で遊興して悉くこれを費消し、また昭和二九年頃からは長井市今泉に情婦を囲つて、翌三〇年四月父七郎左エ門が死亡するに至るまで、屡々長期に亘つて外泊し、その所在すら判明しない有様であつた、また控訴人英一は遊興費に窮しては父七郎左エ門所有の不動産を他に無断売却して遊び歩き、金銭を浪費していたので、七郎左エ門は控訴人英一の不行跡を怒るとともに、同控訴人のかゝる振舞を極力警戒していた矢先であつたので、同控訴人に本件田地を売却する権限など付与する筈はない。

二、また七郎左エ門が本件田地を被控訴人に売渡したものでないことは従来述べた事項のほか、次の事実によつても明らかである。

(イ)  本件田地は七郎左エ門が所有していた田地約八反歩のうち最良のもので、同人方の生計を樹てゝゆくために必要欠くべからざるものであつたから、他に譲渡する筈はない。

(ロ)  当時七郎左エ門は病気療養中ではあつたが、本件田地までも売却しなければならない程経済的に困窮してはいなかつた。因みに控訴人英一が右田地の売買代金として被控訴人より受領した金員はすべて同控訴人の遊興費に費消されたものである。

(ハ)  被控訴人が本件田地を買受けたと主張する昭和三〇年一月一二日当時は七郎左エ門の病状は相当重態で、田地売買の相談などなし得る状態にはなかつたから、控訴人英一において七郎左エ門の承諾を得べき筈がない。

三、甲第一号証(土地売渡約定書)の作成年月日は昭和三〇年一月一二日と記載されているが、その文面自体よりすれば、同書面中「売渡人横山七郎左エ門」名下の印影をはじめ、その余の同人名義の印影はすべて被控訴人が内金三五、〇〇〇円を支払つたと称する昭和三〇年八月一〇日に押捺されたものであることが明らかである。仮にそうでないとしても、右印影は控訴人英一が肥料購入のために農業手形を振出すべく、控訴人つね子より右実印の交付を受けた昭和三〇年四月一五日頃以降に押捺されたものである。蓋し、控訴人英一は昭和二九年一二月七郎左エ門が病気臥床してより昭和三〇年四月二〇日死亡する直前までは、前記のように長井市今泉の情婦のもとに外泊することが多かつたし、しかも、七郎左エ門は右実印を控訴人英一が無断使用することを恐れて、自己の枕許に保管し、或は控訴人つね子に預けて同控訴人に保管させていたので、右期間中控訴人英一が右実印を使用できる筈はなかつたからである。

四、原判決事実摘示中控訴人冷子、同つね子の三の(一)及び(三)の事実主張はこれを撤回する。

五、被控訴人の当審における主張事実中、控訴人冷子同つね子の従前の主張に反する部分はこれを否認する。

証拠関係

被控訴代理人は新たに甲第九号証、同第一〇号証の一・二、同第一一、第一二号証、同第一三号証の一・二、同第一四号証を提出し、当審証人梅津助右エ門、同島貫東助、同梅津門左エ門、同後藤重吾、同鈴木与一郎、同梅津うめ、同大友忠夫、同荒井三郎の各証言、当審における控訴人横山英一(第一ないし第三回)並びに被控訴人(第一ないし第五回)の各本人尋問の結果を援用し、乙第四号証、同第八号証の二、同第九号証、同第一〇号証の一・二の各成立を認め、乙第三、第五号証、同第六号証の一ないし四、同第七号証、同第八号証の一、同第一一、第一二号証はいずれも不知、同第八号証の二、同第九号証はこれを利益に援用すると述べ、控訴人冷子、同つね子両名代理人は新たに乙第三ないし第五号証、同第六号証の一ないし四、同第七号証、同第八号証の一・二、同第九号証、同第一〇号証の一・二、同第一一、第一二号証を提出し、当審証人勝見栄、同渡部徳一郎、同梅津素行、同長岡虎之助、同西山俊一、同樋口茂七、同手塚仁の各証言、当審における控訴人横山冷子、並びに控訴人横山つね子(第一、二回)の各本人尋問の結果を援用し、甲第一〇号証の一の成立を認め、同第九号証、同第一〇号証の二、同第一一第一二号証、同第一三号証の一・二、同第一四号証はいずれも不知と述べた。

理由

一、先ず職権をもつて被控訴人と控訴人英一間の訴訟の継続の有無について判断する。

本訴は被控訴人が控訴人ら三名を被告として「被控訴人において昭和三〇年一月一二日横山七郎左エ門から本件田地を代金三〇万円で買受ける契約をし、即時内金一五万円を支払い、残代金は同人が昭和三一年三月末日までに右田地所有権移転について山形県知事に許可申請手続をなし、その許可を得たうえ、被控訴人にその所有権移転登記手続をなした後に支払う約定をしたところ、右七郎左エ門が昭和三〇年四月二〇日死亡し、控訴人ら三名がその遺産相続人として同人の権利義務を承継した。被控訴人は控訴人らの懇請によりその後三回に合計金七六、〇〇〇円を残代金の内金に支払つたのに控訴人らにおいて約定期限が経過しても山形県知事に対し許可申請手続をしない。」との理由で、控訴人ら三名に対しこれが許可申請手続を求めるというのである。

これに対し控訴人冷子、同つね子は原審以来抗争して来たが、控訴人英一は当初から争う意思を示さず、昭和三三年二月三日原審の第一一回口頭弁論期日に出頭して「第一、請求の趣旨に対する答弁、原告の請求を認諾する。第二、請求の原因に対する答弁、原告の主張事実を全部認める。」との答弁書に基き陳述し、同日の調書にその旨記載されたが、控訴人英一はその後も依然被告として扱われ、原判決において「本件は訴訟の目的が控訴人ら三名につき合一にのみ確定しなければならない場合に該当するから、認諾の効力を認め得ない。」との趣旨の解釈により同控訴人にも控訴人冷子、同つね子と共同して被控訴人のため山形県知事に対する本件許可申請手続をなすべき旨の言渡がなされたこと、及びこれに対し控訴人冷子、同つね子は適法な控訴の申立をし、控訴人英一は控訴の申立もしなかつたが、当審においても控訴人英一は各口頭弁論期日の呼出を受ける等控訴人として扱われて来たことは本件記録によつて明らかである。

本訴は果して控訴人ら三名につき訴訟の目的が合一にのみ確定しなければならない事案であろうか。民事訴訟法第六二条第一項にいわゆる合一にのみ確定しなければならない必要的共同訴訟には、数人が共同してのみ当事者適格を認められる固有必要的共同訴訟と、各別に訴え、又は訴えられることはできるが共同して訴え又は訴えられた以上は判決の内容が法律上区々になることができない類似必要的共同訴訟の二つの場合があり、本件の場合そのいずれにあたるとしても同一の結論になるのであるが、元来この両者に通ずる合一確定の概念は目的的政策的概念であり、従来の判例学説の跡をたずねてみても、しかく明確であるとはいえない。主観的共同訴訟中のいわゆる合一確定すべきもの、すなわちその判決の内容が各共同訴訟人間に法律上区々になつてはならない性質があるものとして特殊の扱を受ける例外の場合に見るところのものである。通例固有必要的共同訴訟というべき場合は、ある財産権関係が数人に共同に属し、その権利関係の行使も数人共同してしなければならないため、訴訟上その権利関係についての訴訟追行権の行使もその数人を共同してしなければ当事者適格をもつものとすることができない場合と、他人間の権利関係の変更を招来するため、その他人と共同して訴訟追行権を行使しなければ当事者適格をもつものとすることができない場合であり、また類似必要的共同訴訟というべき場合は訴え又は訴えられた各共同訴訟人に対する判決の既判力が法律上牴触してはならないものとせられる場合である。

しかして本件訴訟物の権利関係は被控訴人が前記売買を理由として七郎左エ門の遺産相続人としてその権利義務を承継した控訴人ら三名に対し、本件田地の所有権移転について山形県知事に許可申請すなわち許可申請の意思の陳述をなすべき義務の履行を求める請求である。本件訴訟の目的が合一確定すべきものかどうかは結局この控訴人ら三名の義務履行の関係自体に合一確定すべきものとして特殊の扱をなすべきものがあるかどうかである。

控訴人ら三名の義務は豊地所有権移転の合意を前提とし、知事の農地所有権移転について農地法第三条第一項所定の許可処分をなすに際し、その合意の当事者のなすべき義務であり、七郎左エ門が被控訴人とともになすべきものを七郎左エ門が履行しないで死亡したため、同人の権利義務を承継した控訴人ら三名がなすべきものとされているものである。その義務の履行は共同相続人である控訴人ら三名の分割の協議(本件田地について昭和三一年二月一二日控訴人冷子に分割することに控訴人ら三名間に協議の成立したことは後段説明のとおりである。)前の共同相続財産に関する財産処分を前提とする行為としても、その行為自体当然に共同相続財産処分の結果を来すような行為ではないから、分割協議前の共同相続財産の処分行為でないのはもとより、共同相続財産関係自体について積極的にその存在を主張し、もしくは消極的にその不存在を主張され、それ自体の積極・消極の確認を求め、もしくは求められる場合に比較されるようなことでもないことは一見して明瞭である。また本件は控訴人ら三名の任意の義務履行の問題ではなく、被控訴人において控訴人ら三名が任意に被控訴人とともに許可申請をなす義務を履行しないものとし、三名の許可申請の意思の陳述を訴求しているのである。農地法第三条第一項には「豊地・・・について所有権を移転・・・する場合には省令で定めるところにより当事者が都道府県知事の許可・・・を受けなければならない。」とあり、また右省令の農地法施行規則第二条第二項には「前項の許可(法第三条第一項の許可)の申請は当事者が連名でするものとする。・・・」とあり、農地法は本件のような場合、当事者双方の申請、しかも連名形式による申請を要求しているが、それは当事者任意の許可申請手続における要請であり、許可申請の意思の陳述を求める裁判手続等に関するものではない。不動産登記法第二六条において登記権利者及び義務者の共同申請の原則を規定しているが、それがため同法第二七条の判決の訴求手続(和解調停の場合も同様)も数名の登記義務者について共同になすべきことまで要求しているのではなく、数名の義務者中甲が任意に登記申請をなすべきことを承諾し、乙らがこれを拒むときは、乙らについてのみ登記申請の意思の陳述を求める訴を提起し、その勝訴の判決を得、これをもつて乙らの登記申請に代え、登記権利者及び甲の登記申請書を提出して登記申請をなし得べく、この場合拒否者が乙丙ら数名あつても共同の訴求手続によらなければならない理由がないことによつても明らかである。

なおまた控訴人ら三名の許可申請の義務は一個の知事の許可を求めるためのものではあるが、三名いずれも履行しなければならないものであり、三名中の一名が履行しても他の者の義務を消滅させるものでないのは勿論これを滅少させるものでもない。またかりに三名の義務関係に不可分債務のような関係があつたとしても、わが民法上不可分債務関係においても債権者は数名の債務者中の一名に対しその全部の債務の履行を求め得るのである(民法第四三〇条本文・第四三二条)から、控訴人ら三名を共同に訴求しなければならない理由はない。

以上控訴人ら三名の許可申請の意思の陳述を求める本件訴訟手続にはとくに三名共同しなければ訴えることができない性質のものがあり、特殊の扱をしなければならないものとする法律的根拠を発見することができない。

従つて本件の事案は固有必要的共同訴訟に該当する場合ではない。また控訴人ら三名の一名に対する判決の既判力が当然に他の控訴人らに及ぶべき法律的根拠もなく、各共同訴訟人に対する判決の既判力が法律上牴触するようなことの起り得る場合でないことも明らかであるから類似必要的共同訴訟に該当する場合でもないものと解するのを相当とする。

そうだとすると、控訴人英一に対する被控訴人の本訴は昭和三三年二月三日原審の第一一回口頭弁論期日における控訴人英一の認諾により終了したものといわなければならない。これと反対の見解に立ち、その後も同控訴人を被告として扱い、同控訴人に対しても本件許可申請手続をなすべきことを命じた原判決は失当でありこの点の取消を免れない。

また当審における控訴人英一に対する扱もまた失当である。

二、次に被控訴人の控訴人冷子、同つね子に対する請求について判断する。

(一)  本件田地がもと右七郎左エ門の所有であつたこと、同人が昭和三〇年四月二〇日死亡し、控訴人ら三名がその遺産を相続したこと、控訴人英一が父七郎左エ門生存中の昭和三〇年一月一二日被控訴人に対し、七郎左エ門の代理人として(但し代理権の有無については争がある。)本件田地を代金三〇万円で売渡す旨の契約をなしたことは当事者間に争がない。

(二)  そこで先ず右売買契約が七郎左エ門と被控訴人間に適法に成立したか否かについて検討するに、成立に争のない甲第五号証、乙第一第四号証、同第八号証の二、同第九号証、同第一〇号証の一・二、当審証人渡部徳一郎の証言により成立を認める乙第三号証、当審における控訴人横山つね子の本人尋問の結果(第一回)により成立を認める乙第五号証、当審における同控訴人の本人尋問の結果(第二回)により成立を認める乙第六号証の二ないし四、同第八号証の一、同第一一、第一二号証、当審における控訴人横山英一の本人尋問の結果(第三回)により成立を認める甲第一三号証の一、原審証人土田虎吉、同横山清右エ門、同今野一雄(第一・二回)同横沢文雄、同本村ふみ、同加藤とく、同今野ちよの、同木村嘉男、同木村六蔵(後記措信しない部分を除く)、当審証人梅津素行、同渡部徳一郎、同勝見栄(後記措信しない部分を除く)、同手塚仁、同梅津うめ、同西山俊一、同樋口茂七、当審及び原審証人長岡虎之助、当審における控訴人横山冷子、原審及び当審(第一・二回)における控訴人横山つね子、当審(第二回)における控訴人横山英一(後記措信しない部分を除く)の各本人尋問の結果、原審における鑑定人塩川隆治の鑑定の結果、甲第一号証の存在を綜合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

(1)  控訴人英一は置賜農業学校三年を中退し、昭和一九年六月頃から小国町の農業会等の無業技術員となつて農耕の指導に従事していたが、その頃から酒色を好み昭和二二年頃農業技術員を辞め実家で農業に従事するようになつてからも、家業に励まず、屡々無断外泊したりして飲酒遊興していたが、昭和二七年一二月には父七郎左エ門が供出した二四・五俵の供米代金一〇万余円を両羽銀行より受領して一〇日間位家出外泊し、長井市所在の料亭「山新」で遊興して、悉く費消したので、控訴人英一の父七郎左エ門は同控訴人のかゝる振舞に心痛苦慮し、昭和二八年二月頃親族を招集し、控訴人英一に対して採るべき措置を協議した結果、席上控訴人英一に対して準禁治産の宣告を申立つべしとの意見も出たが、妻子らのことを考え、また同控訴人が更生を誓つたため、右申立を差控え、同控訴人に反省の機会を与えることにした。なおその頃から従来控訴人英一が父七郎エ門とともに差配して来た同人方の家計は七郎左エ門独りで(但し、同人が昭和二九年一二月病気臥床して以後は控訴人つね子の協力を得て)主宰することになつた。

(2)  しかし控訴人英一の放蕩はその後も止まず、屡々家出外泊して遊興することが続いたが、昭和二九年二月頃遊興費に窮した挙句勝手に七郎左エ門所有の飯豊町大字萩生北口一、四一九番の三、田二反一畝二〇歩の内一反歩を被控訴人に売渡し、その代金の内金として金四四、四三〇円の交付を受けてこれを遊興費に費消し、また右田地は当時小松長太郎が小作していてその返還に応じないので、右田地に代る耕作地として、本件田地のうち一反歩を被控訴人に耕作させることを約したところ、被控訴人において馬耕を始めたため、七郎左エ門の知るところとなり、同人より右田地の返還を求めたが、被控訴人においてこれに応じないので、同年六月三日七郎左エ門は右売買契約は控訴人英一が勝手になしたものであり、しかも右田地は同人方の田地のうち最良のものであつて、僅か約八反歩の田地しか有していない同人方においては生計上欠くべかららざるものであることを理由に、右耕作地を返還して貰うべく豊原村農業委員会に対し調停方を申入れたところ、被控訴人はやむなく七郎左エ門の右申入れの趣旨を了承し、右田地の耕作は一年限りとし、次年度より同人に返還することにして調停が成立するに至つた。

(3)  控訴人英一はその後も一向に反省の色なく、遊興費に窮しては七郎左エ門所有の宅地を他に無断売却して遊び歩き、また昭和二九年一一月頃には当時同人方に稼働していた佐藤ひろ子と情を通じて約一〇日間家出外泊したりして金銭を浪費していたので、七郎左エ門は同人が病気臥床するに至つた同年一二月上旬以後も、控訴人英一に実印を無断使用されて同人所有の不動産を売却処分されることを極度に恐れ、同人の実印は発病当初は枕許においてこれを保管し、また同月中旬頃からは控訴人つね子にその保管を依頼し以後同控訴人においてこれを所持していた。(なお、右実印は七郎左エ門が死亡する直前の昭和三〇年四月一五日頃控訴人英一が肥料購入のため農業手形を振出すのに必要だからと虚偽の事実を申向けて、控訴人つね子にその交付方を求めて来たので、同控訴人は控訴人英一の右申入れを真実なものと誤信し、七郎左エ門の承諾を得て、同日控訴人英一に交付した。)

(4)  ところが昭和三〇年一月に至り七郎左エ門の病状が悪化するや、遊興費に窮していた控訴人英一は間もなく七郎左エ門の遺産全部を独りで相続できるものと速断し、父七郎左エ門の承諾を得ないで被控訴人に対し、同人がさきに七郎左エ門から農地調停を申立てられて返還を求められた本件田地二反歩の買取方を申入れたところ、被控訴人も右田地が近き将来において間違なく自己の所有名義に所有権移転登記できるものと軽信し、右田地の所有者たる七郎左エ門の右承諾の有無を確めることなく控訴人英一の右申入れを承諾し昭和三〇年一月一二日右田地二反歩につき代金を三〇万円とし、控訴人英一を七郎左エ門の代理人として売買契約を締結し、同日土地売渡約定書(甲第一号証)を作成するに至つた。(但し、右書面中の「売渡人横山七郎左エ門」名下の印影をはじめその余の同人名義の印影はいずれも右代金の内金三五、〇〇〇円が支払われた昭和三〇年八月一〇日に押捺されたものである。)

(5)  他方七郎左エ門は其の後病状が快方に向うにつれ、横山家の将来を憂い、この侭遺産全部を控訴人英一独りに相続させることになれば、同控訴人において忽ち遊興費に費消してしまい、一家路頭に迷う結果になりかねないと考え、遺産の減少するのを防止するため、控訴人つね子及び同冷子に七郎左エ門の養女となることを勧め、同控訴人らの同意を得て、昭和三〇年二月二六日同控訴人らと養子縁組を結んだため、七郎左エ門の遺産は同人が死亡した同年四月二〇日控訴人ら三名において相続するに至り、翌三一年二月一二日控訴人ら三名において遺産分割の協議をなした結果、遺産分割協議書(乙第二号証)記載のとおり控訴人ら三名において遺産を分割し、その結果本件田地は控訴人冷子において取得するに至つた。

以上の事実が認められ、甲第六号証の一、(渡部応助他一一名作成名義の証明書)、同第七号証の一、(佐藤進他六名作成名義の承認書)二、(木村六蔵作成名義の証明書)四(木村一男作成名義の証明書)、同第九号証(梅津門左エ門他五九名作成名義の証明書)、同第一一号証(荒井三郎作成名義の証明書)の各記載、原審(第一・二回)及び当審証人荒井三郎、原審証人渡部市太郎、同後藤代次郎、同宇津木定次、同渡部栄五郎、同八島哲夫、同木村六蔵、当審証人梅津助右エ門、同島貫東助、同梅津門左エ門、同後藤重吾、同勝見栄の各証言、原審(第一ないし第三回)及び当審(第一ないし第三回)における控訴人横山英一、原審及び当審(第一ないし第三回及び第五回)における被控訴本人尋問の結果中前記認定に牴触する部分は前掲諸証拠に対比して信用できず、また甲第一三号証の二(情野清助作成名義の証明書)の記載事実中七郎左エ門所有の山林原野が情野清助に対し昭和三〇年四月一二日売買を原因として所有権移転登記手続がなされた旨の記載は成立に争のない乙第九号証に比照してにわかに措信し難く、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、本件田地の売買契約は控訴人英一が父七郎左エ門の承諾を得ないで勝手になしたもので当時控訴人英一において右売買契約の締結権を有しなかつたことが明らかである。

(三)  次に被控訴人の表見代理の主張について判断するに、控訴人英一が度重なる不行跡によつて、父七郎左エ門の怒をかい、昭和二八年頃より、同人が死亡するに至るまで一家の家計は七郎左エ門自ら(同人が昭和二九年一二月上旬病臥後は控訴人つね子の協力を得て)これを主宰していたこと、そして本件売買契約の締結に際し、控訴人英一が七郎左エ門の実印を所持していなかつたことは前段認定のとおりであるし、前掲甲第一三号証の一によれば控訴人英一が七郎左エ門所有の宅地を本件売買契約以前の昭和二九年九月梅津武夫に、また翌三〇年一月一一日伊藤栄作にいずれも七郎左エ門の代理人名義で売渡した事実が認められるが、右売買に際し、七郎左エ門が控訴人英一に対して、その代理権限を付与した事実については下記証拠に対比してにわかに措信し難い甲第一二号証をおいて他にこれを確認するに足る証拠はなく、かえつて前示認定の事実に原審及び当審(第一回)における控訴人横山つね子の本人尋問の結果によれば、控訴人英一は右宅地を七郎左エ門の承諾を得ないで勝手に売却したものであることが窺われる。しかも前示認定の豊原村農業委員会において被控訴人が本件田地を七郎左エ門に返還することの調停が成立するに至つた経緯、ことに本件田地は七郎左エ門方の所有田地約八反歩のうち最良のものであつて、同人方の生計を維持してゆくうえにおいて必要欠くべからざるものであり、従つてかねて七郎左エ門には右田地を他に売却する意思のなかつたこと、そして被控訴人は本件売買契約当時これらの事実を知悉していたことを考慮に入れれば、たとえ控訴人英一が右売買に際し、被控訴人に対し七郎左エ門の承諾を得た旨申向け、被控訴人においてその旨信じたとしても、被控訴人において何ら右承諾の有無を確認する方途を講じなかつた以上、本件売買契約を締結するにあたり控訴人英一が七郎左エ門を代理して右契約を締結する権限を有していたと信ずるにつき被控訴人に過失があつたものといわねばならない。すると被控訴人の右主張も亦採用するに由ない。

(四)  次いで被控訴人は控訴人ら三名間に有効に遺産分割の協議が整い本件田地を控訴人冷子において相続取得することとなつたとしても、控訴人冷子名義に未だ相続登記がなされていない以上、その取得をもつて被控訴人に対抗できない旨主張し、本件田地が未だ控訴人冷子名義に相続登記のなされていないことは控訴人らの自陳するところであるが、被控訴人と七郎左エ門間の本件売買契約が適法に成立したものでないことは前示認定のとおりであるから、被控訴人は右登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有しないものといわねばならない。よつて被控訴人の右主張も亦採用の限りではない。

(五)  最後に被控訴人は遺産分割をなすに際し、控訴人ら三名間に右遺産のうち控訴人英一が七郎左エ門の死亡前に他に売却した物件は遺産分割の結果誰が所有者となつても異議なく買主にその所有権を移転することを約した旨主張し、主審における控訴人横山つね子の本人尋問の結果(第二回)によれば、遺産分割に際し控訴英一より控訴人つね子同冷子に対し右主張のような申入れがなされたことが窺われるが、にわかに措信し難い原審(第二回)及び当審(第一回)における控訴人横山英一本人尋問の結果をおいて、控訴人英一の右申入れがその余の控訴人らによつて了承されるに至つた事実を認めるに足る証拠はなく、かえつて前掲乙第二号証、原審証人横沢文雄の証言、原審における控訴人横山つね子の本人尋問の結果によれば、控訴人ら三者間において今後遺産分割に関しては相互に何らの請求をもしないことを約した事実が窺われるから、被控訴人の右主張も亦採用できない。

三、以上被控訴人の控訴人ら三名に対する本訴請求は理由がないから右請求を認容した原判決は失当としてこれを取消し、被控訴人の控訴人冷子同つね子に対する本訴請求を棄却すべきものとし、民事訴訟法第三八六条第九六条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 上野正秋 鍬守正一)

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